PARIS/another scenario

 朝。目を覚ましたフェルが洗面所に向かう。あごに手を当てて、ふと気づいたような顔になり髭を剃り始める。シャボンを泡立てて剃刀を動かす。「…ツッ」頬から一筋の血が流れ落ちていく。頬に手を当て流れる血をぼんやりと見つめているフェル。指先からシャボンと混じり合いながら滴る血。

今日は雨が降って寒かったので一日中部屋の中にいてパンをかじっていた。マリィは昨日の夜から帰ってこない。とても寒い日だった。冷たい雨の降るパリの夜。ワインを飲もうとしたけれど冷たくてむせてしまった。床に染みが広がる。

フェルはかつての愛人であるアンヌの元へと向かうはずだったのに、ちょっとした気紛れから他の娼婦にからまれているマリィを助けるために「僕の恋人なんだよ」と言って持っていた薔薇の花束を渡してしまう。本当はアンヌに渡すはずの花束だった。
「私びっくりしちゃった。だっていきなり現れて薔薇の花束押しつけて『僕の恋人なんだ』って言うんだもん。何だか映画でも見てるような気がしちゃった」マリィが回想して呟く。「あの時のフェルってすっごくかっこ良かった」嬉しそうな顔でフェルに語りかけるマリィ。ちょっとだけ困ったようなはにかんだ笑いを見せるフェル。その心情は複雑だった。あの時どこかが狂ってしまったと思っているから。でもなぜ狂ってしまったのか、何が狂ってしまったのかもわからない。

テーブルの上に肘をついて話している二人。
「なに考えてるの?」
「ん、別に…」
日記をつけて眠りに就くマリィ。フェルはまだ起きたまま夜空の星を眺めていた。何かが引っかかっていた。少しだけ寂しく思う。二人で毛布にくるまって寝ているはずなのに寂しかった。意味もなく涙が流れてくる。何かがおかしかった。どこで間違ってしまったのかもわからないのだけれど、何かがおかしくなってしまった。

氷のようなキスを少し。

a full of kiss


マリィのモノローグ。
「ロンドンは息が詰まりそう…。パリは皆自分勝手で…。良く言えば個人主義なんでしょうね。でも私から見ればただのわがままにしか見えないの」
「東京は?」
「東京は…、くだらないの。毎日TVを見てたらよくわかるの。本当に楽しいことがここにはないって。」

街角に立つマリィ。男が買いに来る。ホテルへ。猫がじゃれつくようなマリィの態度。セックスの後、化粧を直すマリィ。下着姿。ネームは全く入らない。映像だけが静かに流れていく。

フェルがカフェで新聞を読んでいる。
「今度は日本の女の子だって?」いつのまにかフェルの向かいの席にアンヌが腰掛けていた。
「久しぶりだね、アンヌ」
「うまくやってる?」
「…昔の女に答えるほど野暮じゃない」
「きっとあなたのことだから薔薇の花でも抱えて来てくれると思ってたんだけど…思い過ごしだったみたいね」
「僕はただのジゴロさ」
アンヌが冷ややかな眼差しをフェルに向ける。
「あなたみたいな男がどういうふうになるか知ってる?」
「知ってるよ」
ワインを一気に飲み干しながら席を立つフェル。
「愛する女に裏切られて、警察に追われて撃ち殺されるのさ…
『俺は最低だ』って呟きながらね」

プール。服のまま飛び込むフェルとマリィ。二人きり夜の冷たいプールで溺れていく。水中で抱き合う二人。

マリィの飼っていた猫がしばらく行方不明になっていたと思ったら死体となってプールに浮かんでいた。

髪を短く切ったマリィ。「チャオ!」敬礼のポーズをとってフェルに合図する。
「ちょっと切りすぎじゃないのか?男の子みたいだ」
「あら似合ってない?ジーン・セバーグになったつもりなんだけど」
「セシルカットかい?」
「そうよ、パリで自殺したアメリカの女優みたいでしょ」
フェルの帽子を被っておどけてみせるマリィ。くるりとフェルに向かって振り向く。
"BONJOUR TRISTESSE" 「悲しみよ こんにちは」
ニューヨーク・ヘラルドトリビューンのロゴ入りTシャツと黒のスリムジーンズを着たマリィが、フェルに近づきキスをする。
like a cat from Japan

煙草をくわえて、火を点ける。指をゆっくりと一本ずつ離していって、壁に寄りかかる。そしてマリィのことを忘れていく。
エッフェル塔をバックに赤いハイヒールが宙を舞っている。残された片方のヒールはフェルの部屋に置かれたままだった。ショートカットにしたマリィがパリの街の人混みの中をすりぬけるように歩いていく。空港。パリ発東京行きのジャンボジェットに乗り込むマリィ。

マリィはきっと少しはにかみ屋の小さな女の子だったのだろう。それから少女になり、女になった。彼女は二十歳を少し過ぎたばかりで孤独だった。
「あなたには誰も必要じゃないわ」
マリィが怒ったような声でフェルに囁く。
そうして時折彼女のことをフェルは思い出す。極東の島国から来た可愛い猫のような女の子。本名さえ知らない異邦人。それはシトロエンのエンジン音だけが聞こえるパリの明け方、フェルがベッドの中で浅い眠りをむさぼっているとき、夢の中でマリィが繰り返し呟く呪文だった。夢の記憶がフェルを裏切る。夏がまたやってくるのだ。たくさんの観光客と共に。マリィの思い出と共に。
 やがてフェルの中で何かが湧きあがり、彼はそれを眼をつぶったままその名前で迎えることになる。
"BONJOUR TRISTESSE"

(註釈:これが当初の「超音速のナークツインズ」のために書かれたパリ編のシナリオである。TESTAMENT�犬坊悩椶気譴疹己圓箸皸曚覆辰討い董▲蹈鵐疋麒圓肇丱薀鵐垢鬚箸襪戮�長めに書いてあるのがおわかりであろうか?しかし、これもまたプロデューサー判断の下、却下された没稿である。言い訳と思ってもらっても構わないが、このように膨大な量の原稿を書いてはお蔵入りさせているので、新刊が出るタイムスパンが長いのである。TESTAMENT-00/01はそういうNG稿をまとめて編み出したアウトテイクスなのだ。よってまだまだアウトテイクスだけで何冊かの本を出すことが可能なのだが、先ずは新作である。そして機会があればThe End of TESTAMENTとして、完全収録を刊行したいと思っている。)


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