「超音速のナークツインズ 1991-1992」
ライナーノーツ


Read it loud anytime at all

 もともと「超音速のナークツインズ 1991-1992」は、91年8月に完成まぎわとなった「非実力派宣言」の勢いをかって、軽い気持ちで作ることになった本だった。
 なにしろ9、10、11月に「最新型のナークツインズ」、「超音速のナークツインズ」、「レディメイドのナークツインズ」と3冊を毎月作るつもりだったのだから、軽い気持ちで簡単なコピー誌にでもしなければ作れるものではない。当時はとにかく沢山作って出すというのが、一番面白いと思っていたのだ。 お手本は5ヶ月連続でCDリリース中だったピチカート・ファイヴ。タイトルもピチカートの新作からいただいて決まり。
 「最新型」は「非実力派宣言」の嘘のライナーノーツ。「超音速」は英題“LONDON-PARIS-TOKYO”から各都市をモチーフにした短編を3本。「レディメイド」は「非実力派宣言」のリミックス・ヴァージョン。それぞれの本のアイデアは簡単にまとまり、後は作るだけだった。
 実際「最新型」は3日で出来てしまった。中身といってもたったのコピー3枚だったのだから、簡単に出来るはずだ。ちなみに「最新型」は「レディメイド」を買った人のうち、運の良い人だけにおまけで渡された。
 実は「最新型」にはしゃれで、某超有名同人誌作家にゲスト参加してもらっている。「最新型」以下3冊を作る最初の打ち合わせの時に隣の部屋で寝ていた縁でお願いしたのだが、結果的に彼はナークツインズの本に参加した唯一のゲストとなってしまった訳である。
 「最新型」の完成直後の9月「超音速」の制作を開始した。だが「超音速」用の原稿として「ロンドン・ヤー・ブルース」を書き始めたものの、すぐに中断して「レディメイド」の制作を開始することになった。
 「レディメイド」を優先したのは、「レディメイド」がリミックス作品だったからだ。リミックスなんてものは、オリジナル発表のすぐ後に発表しなければ何の意味もない。だから「レディメイド」は2ヶ月後には、必ず完成させなければならなかったのである。しかも「レディメイド」は僕が自分一人ですべて作る初めての本だったで、当時の僕は随分プレッシャーを感じていて、「レディメイド」制作中は他のことを考える余裕などはどこにもなかったというのが正直なところ。
 その結果、めでたく「レディメイド」は締め切りの12月の頭には完成。そして正月休みの後、「レディメイド」制作の勢いを駆って「ロンドン・ヤー・ブルース」も書き上げてしまった。
 今と比べると異常に早い制作スピードである。今思い出してみると、まるで夢の中で長い間全力疾走したような感覚と言っていいだろうか。まだ若かったからなのかもしれないが、もしかしたらあの時期が人生で最も創作意欲のあった時期だったのかもしれない。

 しかしこの後「超音速」は他の原稿が進まずに制作が中断してしまう。理由は僕よりも高原の問題だった。ただこれは僕の一方的な見解だから、もしかしたら彼は僕のせいだと思っているのかもしれない。
 とにかく「超音速」は中断してしまい、92年から95年までは発表されることはなかった。その頃は「禁猟区のナークツインズ」や「華氏32度」を制作していたため、とりあえず後回しにしていたのだ。だがその間にも随分と試行錯誤をしてはみたのだが、結局どれも上手くいかなかった。
 没になった企画・原稿は沢山あった。中には、マンガ版「ロンドン・ヤー・ブルース」を含む「超音速のナークツインズ 1993-1995」という、順一・麻美子ともう一組のカップルが登場するストーリーの本にするというものもあった。もし作られていれば「1991-1992」は赤色で、「1993-1995」は青色を基調にして作られていたはずだ。
 「超音速1991-1992」になってからの制作は、95年7月の「華氏32度」の終了から始まった。余りにこね回しすぎて、大量の没原稿を出した結果、すべて白紙に戻して「ロンドン・ヤー・ブルース」を中心に当初書かれた原稿を再構成して完成させることにした。だから「超音速1991-1992」。少ない文章量でまとめるのは覚悟の上のことだった。そうしないとケリがつかないのだ。ただしイラストはすべて描き下ろしである。昔のイラストはキャラクターを変えたためにすべて使えなかった。まあ昔のしがらみのあるイラストは使うつもりにもならなかったが。
 ここまで時間がかかってしまったのだから、今更妥協してまで作るつもりもなかった。どうせここまで来たのなら、すべて自分の思い通りにしなければ満足できないことは判っていたので、イラスト制作は僕の好きなようにやらせてもらうことにした。
 イラストだけなので95年中には完成するだろうと考えていたのだが、好きにやらせてもらった結果、そんな甘い期待は見事に裏切られることになってしまったが。
 どうやら「超音速」で僕が志向した軽いさっぱりとした感覚は、高原の苦手とする傾向だったようで、結局イラストをすべて仕上げるのに1年近くかかり、完成は96年8月までずれ込んでしまった。企画が決まってちょうど5年後のことだった。
 結局いかに軽い感覚を表に出せるかで、裏ではずっとスポ魂のような制作を続けていたわけだ。本気で作ろうと思えば、こうなることは当然とも言えるが。
 正直に言えば、それでもすべてが思い通りに完成したという訳ではなかった。しかし余りにも時間がかかりすぎている。もうこれ以上遅らせる訳にはいかないので、最後には少し妥協して完成させた。だから出来に満足しているわけではない。しかしそれでも誰がこの本を作ったのかといえば、それは僕でしかない。もちろん著作者はナークツインズの二人だが、僕のわがままで出来ている本だ。たぶん高原にとって「非実力派宣言」が、僕にとっての「超音速」と同じ意味を持っているはずだ。
 「超音速」は、ビートルズとピチカート・ファイヴへの愛情で出来ている。この二つのバンドから僕は沢山の影響を受けた。「超音速」のタイトルはすべてこの二つのバンドの曲から引用されている。「フォトグラフ」のタイトルは完成直前まで決まっていなかったのだが、リンゴ・スターの曲にリンゴ・スターとジョージ・ハリスンが共作した「フォトグラフ」があることを思い出して、このタイトルに決めた。
 これでビートルズとピチカート・ファイヴのメンバーの名前を、本の最初に残すことが出来たのだ。ラッキーなことだと思った。しかも偶然にもビートルズの新作がリリースされる年に発行である。完成までにはいろいろありすぎたが、すべては結果オーライという感じだろうか。ついでにこのプロダクション・ノートは、ビートルズの「アンソロジー3」の発売記念ということにしておこう。
 それからもう一つの偶然を。「ロンドン・ヤー・ブルース」は、6年前メンズ・ビギから出た「ヴィサージュ」という雑誌に掲載された小西康陽の短編小説にインスパイアされて書いたものだ。誰も知らない小説だと思っていたら、つい最近発売された小西康陽初のコラム集「これは恋ではない」に掲載されてしまった。このタイミングの良さ(いやタイミングの悪さか)には僕も驚いたが。誰か失望したい人がいれば読んでみるといい。あえてそのまま使った部分もあるから。
 あと「超音速」のイラストには、有名なレコード・ジャケットを何枚かそのまま使っている。これは二人の好みで決めたのだが、一枚だけ意見が合わないイラストがあった。それはロンドンの駅を走る純一のイラストなのだが、どうしても高原には手前から奥に向かって走っていくイメージなのだそうだ。あれはビートルズの映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」のオープニング・シーンである。映画のように奥から走ってこなくてはロンドンの風景だとは言えない。
             ナークツインズ 後藤



 「超音速」のライナーノーツということであれば、どうしてもビートルズについて触れないわけにはいかない。とはいうものの僕自身はビートルズ・マニアではない。ではないがビートルズのファンでいること、ファンであるがゆえのどうしようもない哀しさを思うことはある。'74年に発表されたフリートウッド・マックのアルバム「クリスタルの謎」のなかにこんな曲がある。タイトルは“シルヴァー・ヒールズ”、曲を書いたのはボブ・ウェルチ。その一節を抜き出してみよう。
If I could sing like Paul McCartney
(And)Get funky like Etta James
「もし僕がポール・マッカートニーみたいに歌えたら」この言葉が持つ絶望的な憧れこそがファンとその対象の埋めることの出来ない距離を示している。ましてその対象がビートルズであればなおのこと。幾多の伝説を残した20世紀最大のスーパーバンドは、ジョン・レノンの早すぎる死とともに完全に閉じた美しい円となってしまった。「超音速」の主人公(純一)にとってイギリスへの旅は新婚旅行と言うよりもビートルズの円周を巡る感傷旅行といった側面のほうが強い。だがリヴァプールでビートルズファンとして持っていた幻想が崩れたとき、彼は自分の日常へと還っていく。麻実子の元へと…。
 この作品構成について考えたとき、ナークツインズの第一作「非実力派宣言」(及び第三作「レディメイドのナークツインズ」)との奇妙な相似に気がついた。「非実力派宣言」のモデルはご存じ森高千里ではあるが、登場人物として出てくるのはあくまでも森高に似た少女(モリタカ)である。「レディメイド」では目の前にいる彼女に対する想いがやがてアイドルへの幻想にすり替わっていくまでを描いているが、「非実力派宣言」では更にその幻想さえ捨てて違う世界に旅立つところで話が終わる。ファンはその愛する対象(ビートルズ/森高千里)を求めるがゆえに限りない接近を試みるのだけれど、近づけば近づくほどその絶望的な距離にも気がついてしまうのだ。「もし僕がポール・マッカートニーみたいに歌えたら」といくら思ったところでポールになれるわけではないように現実のリアルな存在としての対象と、ファンが思い入れによって作り上げたイメージの産物/虚構の存在としての対象の距離は永遠に埋められることはない。「非実力派宣言」と「レディメイド」では目の前にいる彼女の向こうにアイドル森高千里の幻想を見続けた末、彼女と別れてしまう話であった。彼女は森高ではないし、森高は現実の存在ではなくそのイメージだけしか手に入らないからだ。それに対して「超音速」はビートルズの幻想から離れて、そのビートルズが伝える言葉のままに愛する麻実子との生活に還っていくハッピーエンドの物語。ナークツインズらしい循環の果てに落としまえをつけたというところだろうか、ねえ、プロデューサー?
       というところでいつものように蛇足を少し。「超音速」の本文中では触れられていないが、主人公の二人が見に行く予定であったロンドンのバラというのはおそらくクイーンメアリローズガーデン。ロンドンの中心にあるリージェントパーク内にある有名なバラ園である。また38ページのイラストに描かれたバラの品種は銀嶺といって日本産である。まあどうでもいいことだけどね。
                     1996/10/29 ナークツインズ 高原

Happy happy greeting

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