「心のベストテン」


 いつまでも忘れることのできない音楽、僕の心の中で今もオン・エアされ続けているヒット・チューン、心のベストテン。まずは75年にナイアガラ・レーベルの第一弾として発売された伝説の名盤の思い出話から…。
Read it loud anytime at all.

Niagara NAL-0001/「ソングス」シュガー・ベイブ

 宮崎県の県北に母の実家があり、お盆や正月には里帰りといった趣で親戚一同が会する慣習があった。それは僕が高校を卒業して大学に入るまで続いていたのだけれど、大学に入ってからというものろくに帰省しなかったものだから、以来すっかりご無沙汰している。子供の頃とはいえ田舎の無礼講だから、酒は飲むし麻雀を打つといったことを従兄弟たちと一緒になってやっていたのだから楽しくてしょうがなかった。すぐ近くには川があって夏場はそこで泳いだり川海老を突きに行ったり舟を漕いだりして過ごし、冬なら凧揚げとか石投げをしたりして、日が暮れると夕飯を食べながらまずビールを飲んでその後はウイスキーといった具合で昼間外で遊ぶことを除けばあんまり今の生活と変わらない。そんなことを夏休みや冬休みが来るたびにやっていたわけなのだけど、今でも鮮明に思い出す光景がいくつかあって、その一つが暑い夏の日にランニングシャツ一枚になって汗をダラダラ流しながらぎこちなく打っていた覚えたての麻雀と、その時何度となく繰り返し聴いていたナイアガラ・レーベルのアルバムだった。
 もちろんその頃大瀧詠一のことなんて何も知らないし、まして山下達郎や大貫妙子、伊藤銀次などは名前さえわからないまま聴いていた。当たり前と言えば当たり前で、今でこそ有名ではあるけれども当時は限りなくマイナーで無名の存在に過ぎなかったのだから。平凡や明星といったアイドル雑誌を読むのがせいぜいの年頃だった僕が知るわけもない。それでも従兄がはっぴいえんども含めて大瀧ファンだったおかげで、一番多感な時期に最も多く聴いた音楽はナイアガラ・レーベルばかりとなってしまった。その中でも特に心に残ったのは山下達郎の曲である。「SHOW」「DOWN TOWN」「パレード」エトセトラ、エトセトラ。母の実家から戻る帰りの車中で口づさんでいた、誰が歌っているかさえ知らないポップス。それはとてもとても遠い国から聞こえてくる音楽の香りと憧れと夏の日の終わりを感じさせるものだった。賑やかなパレードが目の前を通り過ぎて、楽しかった夏の日が終わり、やがていつもの日常へと帰っていく、記憶の中に鮮やかに残り続ける季節。
 あの時に感じた山下達郎の瑞々しくきらめくような輝きを持った曲が、大貫妙子のはかなくも美しい歌声が、20年近く過ぎた今でもなおこうして僕のもとへと届くことがとても嬉しい。今回再発されたCDにはボーナス・トラックとして、デモ・テープにライヴ音源までついていて感無量である。シュガー・ベイブの若々しく艶のあるエバー・グリーン・ミュージックは、涼やかな宮崎の夏をつれてきた。

          1994/4/22 高原 宏

「心のベストテン」2


 いつまでも忘れることのできない音楽、僕の心の中で今もオン・エアされ続けているヒット・チューン、心のベストテン。今回は新作「アウトサイド」を発表したデヴィッド・ボウイにまつわる話を少し…。

All night You want the young American.
    

BVCA-677/「アウトサイド」デヴィッド・ボウイ

 デヴィッド・ボウイへの思い入れは深すぎてうまく書ける自信がない。余りに陳腐なことを書いてしまいそうで、気が引けてしまう。要は声が好きなだけだと思う。新作「アウトサイド」を聴いて改めて思ったのはそのことだった。はるかな地の果てから届く儚い歌声。「ジギー・スターダスト」の頃から魅かれ続けてきたのは、そんなボウイの声だった。 「5年間/FIVE YEARS」で「僕達に残された時間は5年間だけだ」と歌った頃から、いつも切実な切り裂くような痛みとともにボウイがいた。今にして思えば、思春期の不安とロックと呼ばれる音楽の甘い蜜月期だったんだなと振り返る余裕もあるけれど、いまだに引きずっているみたいで三十歳を過ぎたからといって忘れてしまうわけでもない。いまさら演歌を聞いて心が和むはずもないしね。これは麻薬と覚醒剤の違いみたいなもので、陶酔した多幸感をもたらす麻薬よりも、すっきりとした「ロウ」な気分にさせてくれる覚醒剤の方が馴染んでいるということなのだろう。僕にとってロックと呼ばれる音楽は、そういう覚醒作用のある音楽のことなのだ。確かに「レッツ・ダンス」以降のボウイは開き直ったような印象があって、妙に明るいダンス・ミュージックをやっている気がしたし、それは落ち着きどころのなくなった自分の所在を無理矢理探しているあざとさを感じさせた。普通の顔をして落ち着いた振りをする居心地の悪さとでも言うのだろうか。前作「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ」はそんなしがらみを振り切るための宣言だったようだけれど、しなやかで伸びのあるデヴィッド・ボウイというのもやはり無理がある。もちろん、それはそれで当人にとっては良いことかも知れない。ボウイも極東の小さな島国に住んでいる一ファンに、そんなことを言われたくもないだろうし。だけど、生きていくことの不安や恐怖を歌い、ぬるま湯に浸って生きている僕を覚醒させる音楽を与えてくれるからこそボウイなのだ。
 ベビー・グレースという14歳の少女が殺された猟奇的な殺人事件のついて様々なキャラクターが語っていくというコンセプトで作られた今回のアルバムは、ブライアン・イーノとのコラボレイションでもあることからボウイがある種の原点回帰をしたと言えるかもしれない。にもかかわらず、「パラサイト・イヴ」「リング」「らせん」の書評で書いたように、極めてコンテンポラリーな内容でもあるのだ。「明日のことではない。今起こっていることなのだ」と歌うタイトル曲「アウトサイド」でわかるように、このアルバムは“アウトサイド/外側”すなわち「現実」について語られている。だからやっぱりつまらない!阪神大震災やオウム事件が起きた1995年の極東の島国に生きる人間にとって、フィクションとして語られる猟奇事件にいったい何のリアリティがあると言うのだろう。現実はフィクションをはるかに上回るスピードとスケールで進んでいる。ボウイでさえ凌駕できない。現実をオーバードライブしてこそのフィクションではないのか?かつてのボウイがそうであったように。
 だから僕は小さなリアリティにこだわろうと思う。日本盤のみにつけられたボーナス・トラックのタイトルは「ゲット・リアル」。僕は自分のリアルを見つけよう。
僕はボウイの声が好きだ。
1995/12/19 高原 宏